【高木由一 成績】渕野辺高では、野球部を作り、卒業後は相模原市役所に勤務。冷やかしのつもりの入団テストに受かり大洋入団。数年の下積みの後6年目3番を打ち三割20本塁打。その後もホエールズの主軸で活躍

【高木由一 成績】渕野辺高では、野球部を作り、卒業後は相模原市役所に勤務。冷やかしのつもりの入団テストに受かり大洋入団。数年の下積みの後6年目3番を打ち三割20本塁打。その後もホエールズの主軸で活躍

【高木由一 成績】渕野辺高では、野球部を作り、卒業後は相模原市役所に勤務。冷やかしのつもりの入団テストに受かり大洋入団。数年の下積みの後6年目3番を打ち三割20本塁打。その後もホエールズの主軸で活躍

高木由一選手は、渕野辺高には野球部がなく、有志を集野球部を発足。しかし人数ぎりぎりで弱いチームだった。しかし高木の才能は他校の指導者の間では評価され、それを聞きつけた相模原市役所の職員が公務員試験を受けて市役所入り、そして来年から軟式から硬式に移行する野球部の入らないかと誘いを受ける。

そして見事に試験に受かり相模原市役所の職員になり野球を続けることに。チームメイトの誘いで、冷やかしで大洋入団テストを受けるとまさかの合格にあわてて、どう断ろうか?悩み胃痛になり病院の先生に無理だと言わせるも、最終的にプロ入り。

最初は、サインプレーや連係プレーなんてまったくやってきていないので、全然できず、いつ首になってもおかしくない選手だった。妻子もいた為、安アパートでプロ野球選手らしからぬ生活をしていた。

5年目にきっかけをつかみ94試合出場。6年目3番を打ち.323 20本塁打とブレイク。翌年も.326 23本塁打と2年連続三割20本塁打。オールスターにも2年連続で出場。その後も大洋の主軸として活躍し、87年6月シーズン途中に引退。

通算成績
1147試合 957安打 102本塁打 打率.295

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